ある種まだまだ自分も考え方を固定したくないといいますか、自分でみつけた定石はあえて自分から崩してみないと、いかに自分がそれに捕われていたかがわからない事もあるので、何事も自分で決めたら信用はするけど依存はしたくないというところなんですが。
とはいえいつもなんかしみったれた風な文章ばっかかくのもあれですし、まあたまにはギターっていうかスタンスについての考察的な。
前述したようにあくまでもこれから生きてっていろんなギターに出会ったりしたらまた変わるとは思うんですが。
ざっくり一言でギターといっても色々あるわけで、やっぱ一個一個全て違う訳ですよね。
同じ形でも全然違うし、同じピックアップ載ってても全然違うし、極論思いつくもの全てが同じだとしてもやっぱりそれぞれ反応は違う訳です。
そんな前提がある中で今の自分のスタンスとしては、自分の好みのギターがあったとしたら、そのギターのポテンシャルが一番発揮される状態をまずは見つけて、あとはその個性が存分に出る状態に自分側を合わせて調整するという感じですかね。
ただそれってなんていうか、感覚的に、こっちで合わせてあげるっていうよりかは、実際一個一個試してみて本人に直接ぶつかってみて、なんか良さそうなときは良さげな反応が帰ってくるからああ多分これで方向は良さそうだなぁ〜っていうのをくり返してるうちにだんだんその人のことが自分なりに分かってきて、だんだん好きになってくうちにその人の好きなものにもちょっと影響されてだんだん思考が似てきてその人の得意な物もちょっと得意になる、みたいな感じなのかもしれません。意味不明だったらすみません。
やっぱテレキャス弾いてテレキャスだな〜って音がしたときはテレキャスだなぁ〜っていうフレーズが弾きたくなってなんか出てくるし、そしたらそっからまたテレキャスとは掛け離れた音とかフレーズも出したくなってくるし、でもちゃんとそのテレキャスに向き合ってればこっちの無茶振りにもちゃんとついてきてくれてこっちの思わぬ音も鳴ってくれたりするし。
なんていうか、自分の力だけが100%出る状態ってあんまり意味がないっていうか。そういうことじゃないよなっていうか。
なんて偉そうなことをつぶやくつもりはないんですけど、自分のスタンス的にはそんな感じですかね。
ちなみにそんな感じではありつつも、機材とか弦とかピックとかを追求しすぎてそこに捕われるのは嫌いなので、ざっくり弦はエレキとアコギ共に3種類くらい、ピックは5種類くらい、ってなもんです。
基本は右手でもろもろ調整という感じですかね。
というなんか偉そう風な文章でした。
まあたまにはこんなのも。